抗争にならないはずがない

近代ヤクザの特徴として年を追うごとにヤクザは抗争を避けてきたのか。

暴対法や暴排条例の効果なのかどうなのか、実際に大きな抗争は減ってきた。これについては当局による取締りとは別に、上部団体が下部団体の紛争を積極的にコントロールしてきたという側面がある。これは関西よりも関東の組織の方がずっと以前からその傾向にあったが、近年においては関東系組織に習い山口組をはじめとする関西の組織も東京的な組織運営を進めてきた。

ただ今回の分裂騒動については、少々事情が異なる。

今回は山口組から絶縁という処分が出されている。
過去を振り返ってみると、三代目山口組当時に絶縁になった菅谷組は、菅谷政雄組長の意地から解散引退を拒否し、何とか存続の道を探ったが山口組から徹底的な攻撃を受け、遂には組の存続は叶わなかった。

山口組に限らず絶縁者の現役続行は、まずもって認めないのが通例である。

四代目の跡目問題で山口組と一和会とに分かれた際には、「義絶状」が山口組から出された。これは四代目山口組と盃関係がないため「絶縁状」とならなかったが、文面内容は絶縁状そのものだった。お互いに別の道を歩きましょうと円満分裂にはならなかった。

また五代目発足時に盃を受けず、山口組を離れた竹中組や二代目牛尾組に対しては、単に脱退の通知が出されただけだったが、脱退した組織に対して執拗に攻撃がなされた。このときの攻撃は三代目山健組や宅見組などが目立ったが、承知のように渡辺芳則五代目組長の出身団体と新若頭の宅見勝が率いる組織だ。

同じく五代目時代には、本家の若頭宅見勝射殺事件が起こり、実行犯が所属していた中野会が絶縁になった。中野会々長・中野太郎は五代目組長・渡辺芳則と特別に関係が深く、本家からも中野会への報復を控えるように通達が各団体に出された。しかし組長を殺られた二代目宅見組や宅見組から直参に直った天野組の報復心は非常に強く、その後中野会の副会長・弘田憲二や若頭・山下重夫などを射殺した。しかしこの報復について、山口組本家からの通達に背いたという処分はない。

以上の事からも分るように山口組は、処分者に対してかなり毅然とした態度を取る。もう少し言うと処分者のその後のヤクザ活動に対しては容赦しない。2008年に直参の大量処分があったが、その時処分された者は皆ヤクザを辞めている。しかし今回は処分を受けた者らで新しい団体を旗揚げするとなれば、放置される事はまずないと思う。

現在山口組の本家の若頭である高山清司は服役中である。その高山に代わって本家を取り仕切っている責任者は統括委員長の橋本弘文だ。今回の騒動の原因に個人的関係があるかどうかに関わらず、立場上責任がある。カシラの留守を預かる者として、当然脱退していった組織の存続を認められる立場にない。当代の司組長から盃を受けた者らが、その盃を突き返すがごとく離脱したうえ、更に新団体を立ち上げるという事は、司組長の顔に泥を塗る行為に等しい。ましてカシラの高山が社会復帰した時に新団体が存在していては合わせる顔がない。また今のこの混乱にどう始末をつけるのかと、橋本統括委員長の所作を組の内外のヤクザが見ている。橋本率いる極心連合会内においても置かれた状況は連鎖する。我が親分の苦悩を放置できる状況にはない。弘道会内においても同じようなものだろう。

大阪戦争が長引いていた頃、組長の田岡は若頭の山本健一に「ケン、お前どないするつもりや?」と問いかけたという。このやり取りには相当に深い意味がある。ヤクザでもサラリーマンでも出来る人物ほど短い言葉からも敏感に意を汲んで、自分の責任において行動する。下手な質問はしない。教唆させない。

抗争へ向けて上部団体から指示など絶対に出ない。

どのような状態をもって抗争状態というのか当事者やマスコミ、当局それぞれ線引きが違うかも知れないが、今後これから音なしという訳にはいかないだろう。ようはどこまでエスカレートするのだろうかと言う事だ。