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ススキノのハーブ店
札幌の四代目誠友会幹部菅原公之が逮捕と報道されています。
誠友会の初代会長の石間春夫は、竹中正久が亡くなった直後の四代目山口組に舎弟待遇として、獄中から山口組への復帰を果たしますが、その時も覚せい剤での服役でした。
昔の誠友会といえば、抗争と覚せい剤のイメージがあります。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/585973.html
四代目誠友会
北海道のヤクザ事情はとにかくややこしい。
一番北海道がややこしかった頃、谷川康太郎と縁を持ち、初代会長の石間春夫は柳川組系列となった。長岡宗一の後を受け、柳川組北海道支部支部長に就いている。その後の柳川組の解散を期に山口組からは離れた。
昭和59年
当時拘留中だった石間の元に、四代目山口組から野沢儀太郎(一会)、渡辺芳則(二代目山健組)、桂木正夫(一心会)らが訪れ、年明けに竹中正久と若頭の中山勝正(豪友会)との面会を約束。
昭和60年(1985年)4月
竹中、中山が射殺された事で面会は叶わなかったが、獄中から石間春夫は一和会と抗争中の山口組への加入を決め、誠友会は組長不在の四代目山口組へ舎弟待遇で加入した。
平成元年(1989年)
五代目体制発足時、石間春夫は五代目組長渡辺芳則の舎弟に直った。
平成2年(1990年)1月4日
北海道神宮の近くで、共政会系島上組の稲田組系右翼団体維新天誅会の2人組に射殺された。いわゆる札幌事件。
共政会は島上組(島上守男)を破門、稲田組(稲田鉄夫)を絶縁処分にしたが、山口組の直系組長が殺されるのは、竹中正久らが殺された事件以来であったため、山口組と共政会との全面抗争かと懸念されたが、2ヵ月後には和解が成立。
当代の舎弟が殺されて和解など、過去の山口組では考えられなかった事で、新しく若頭に就任した宅見勝は、今までのように闇雲に抗争に突入するのではなく、争い事にも駆け引きを入れた判断をしていく新しい山口組へと変化させようとしていたのだろうか。
その後の誠友会は、二代目田村武志、三代目船木一治、現在の四代目渡部隆と続いています。