六代目山口組の分裂騒動についての追記

山口組の分裂といえば、過去に四代目竹中正久体制が発足した時に、これに反対する山本広を中心とする古参の直参らが一和会を結成して、それまでの三代目山口組を二分した事がある。その時は代替りというタイミングで、今回とは状況がまるで違うが共通点もあるにはある。一般的に人事への不満ということも言われるが、事はそう単純ではなく、現在の弘道会系に重きを置いた体制に単に反発している訳ではないように思う。

弘道会支配などと言われているが、弘道会であろうとなかろうと現執行部の組内に対する締め付けに対し、遂に爆発したと言うところではないだろうか。

ヤクザは人気商売といわれる事もある。
顔が売れて名前が知られて人間性や男意気を認められて、初めて一人前のやくざという意味がある。五代目組長に就いた渡辺芳則は就任前に「やっぱり渡辺にやってもらって良かったと言われるようにせなあかん」というような言葉を残している。

おそらく若頭に高山清司を指名したのは、現組長の司忍であろう。そしてその高山に組織運営を任せてきたと思われる。しかし100名近くいた直参組長の中に、カシラは高山にやってもらって良かったという思いを持つ者は果たして何人いたのだろうか。

四代目山口組では豪友会の中山勝正が若頭に就いていたが、この人物は新規に本家直参に上がったばかりの者に対しても「よう、兄弟!」と気安く声を掛け、身内に対しても決して偉ぶらない人だったという。若くて少々生意気な者にも、面白いヤツだなと受け流せる器量があったのかもしれない。

ヤクザなら組織において若頭は絶対的な権限を持つという事は、誰でも知っている。しかしそれをカサに着て上から押さえ付けられて気持ちのいい者はいないだろう。あれもダメこれもダメと制限され、執行部から徹底的に管理されて自由を奪われる事を喜ぶ者もいないだろう。
ヤクザは多かれ少なかれ独裁的な傾向を誰でも持っているが、二次団体でも三次団体でも、その組のカシラが組のカラーを決めていく傾向にある。六代目山口組も高山清司が若頭に就いてからは、高山政権であり高山カラーを打ち出してきた。それがいいように作用した面もあるだろうが、2008年には大量処分という粛清もあった。これには遺恨が残った。

今回の事は長年ずっと尾を引いてきた事だけに相当根深い。一波乱あると思う。

また離脱した二次団体が淡路島で会合(盃事?)を持ったという話があるが、出席予定だった団体が欠席したりもしている。これも一和会発足時とよく似ている。組長本人は一和会へ加入する気で動いていたが、連れている若衆らが山口組に残る事を希望し、身動きが取れなくなった。組長本人は一和会へも行けず山口組にも帰れず、結局引退するハメになった。

このご時世、ドンパチを起こせばどうなるかという事は誰もが知っている。山一抗争の時代とは違い、拳銃を使って人を殺せば一生刑務所から出てこれないかもしれない。しかし皆が理性的に考えているなら分裂騒動自体起きない。理性を超えた感情的な面があるからこのような事態になったと思う。今回の件については、平和的に事が進むとは思えない。