織田絆誠は神戸山口組の支配者なのか

六代目山口組から分裂した神戸山口組において、急激にクローズアップされた感のある織田絆誠という人物だが、マスコミでも神戸側のキーマンとか行動隊長などと書き立てられ、注目の的となっている。今六代目山口組から織田への優遇が神戸山口組に内紛を生み崩壊につながるのではないかと見る者がいるが、果たしてそうなるのだろうか。

この人物を語る前に、もう一度分裂に至る経緯とは一体なんだったのか振り返ってみる必要がある。トップの司忍、若頭の高山清司、若頭補佐の竹内照明、こういった体制が弘道会支配であり八代目まで弘道会が占めていくのではないかという嫌悪などが分裂への大きな一因であった事は間違いない。

話を神戸側に戻す。神戸山口組のトップは井上邦雄で若頭は寺岡修だ。寺岡は侠友会会長で山健組には過去にも属したことはない。ところが若頭代行として織田絆誠がおり、外交的にも大きな役割を担い権限も持っている。ましてや織田は神戸山口組の直参ではなく山健組の直参だ。神戸山口組の直参ではない。しかし世間から見てもトップの井上組長から寺岡若頭へのラインよりも、井上組長から織田へのラインの方が強いような印象さえ受ける。このことからも神戸山口組において、山健組支配を今後進めていくのではないかとの懸念がある。まして井上は神戸山口組の組長でありながら山健組を次代に継承せず今も山健組の組長を兼任している。この兼任がねじれを生んでいるとも言える。織田はれっきとした井上の直参にあたるのだ。

司忍が組内に弘道会色を敷いたように、井上もまた組内に山健組支配を作り上げようとしているのだろうか。ところがこれに神戸山口組内では批判的な意見は出てこない。このあたりが両者の決定的な違いであり、路線の違いにつながっている。

組織においてそのポジションからも織田絆誠と竹内照明は比較対象とされることが多いが、評価については天と地ほどの差がある。

織田は神戸山口組を山健組で支配しようとした形跡はなく、逆に神戸山口組内での評価は高い。これには織田と竹内の組織の対する意識の違いが大きい。織田は会合において内輪揉めについて厳禁を通達するだけでなく、山健組関係者がその当事者となった場合は山健組側に厳しく処罰すると宣言している。これには五代目時代の山健組の慢心への反省がある。また、権限者の系列組織への優遇がそのまま組織崩壊へとつながる事を分かっている。自分のポジションをそのまま自派への利益誘導の手段とせず、むしろ襟を正していこうという姿勢が評価され、組内でも反感を持たれることがない。

井上組長があえて織田を神戸山口組の重要な位置に就けたのも、自派を固めるためではなく全体を公平に見て強いリーダーシップを取ることの出来る人材として織田を登用するに至ったのだろう。織田に褒美として役職を与えたのではなく、その重責を担うことの出来る人物として織田を登用したのだろう。

三代目田岡組長は人事の田岡と言われるくらいの絶妙な人材配置を組内に作り上げた。直参同士のライバル心でさえ上手く利用し、時には異例とも言える登用を独断で実行したが、後になってその登用が間違いでなかった事が証明されている。

人事登用は組織においてとてつもなく重要な意味を持つ。目の前の利益を奪い合う人事ではなく将来を見据えた人事であるならば、内紛など起こる事なく繁栄する可能性も出てくるのではないだろうか。