北関東抗争

五代目山口組系弘道会と住吉会住吉一家親和会との抗争。

事件

平成15年(2003年)4月18日
午前3時頃、弘道会系東海興業舎弟頭補佐の大栗組(大栗彰組長)の事務所に親和会系田野七代目の組員が保冷車を突入させる事件が起こった。

当初は末端組織同士のシノギを巡る争いであった事から、早期に決着するものと見られていたが、約二ヶ月に渡って双方の攻撃が続き、たとえ末端組織の抗争であっても手を緩めない、苛烈な弘道会と迎え撃つ親和会の姿勢が際立った。

背景

当時の親和会は栃木全域から群馬東部および茨城西部と広大なエリアを縄張りとする組織だった。そこへ後から進出したのが弘道会系東海興業の大栗組だった。
縄張りを重んじる関東系組織と、縄張り意識の薄い関西系組織。
しかも武闘に名高い弘道会系組織という事で微妙な緊張関係があった。そんな中、大栗組、田野七代目双方が手がける運転代行業をめぐってトラブルになった。話し合いを重ねるもどちらも引かず、ついに話は決裂した。

経過

18日の保冷車突入から数時間後、夜が明けると田野七代目の事務所に十数発の銃弾が撃ち込まれた。 その他同日中に関係先と見られる栃木県内の会社、麻雀店、自宅などへ拳銃の撃ち込みが続く。

同年4月19日
群馬県大泉町で親和会京睦会幹部・西田組々長・西田孝雄が組事務所駐車場で車から降りたところを射殺される。

同年4月21日
大栗組事務所へ、警備に当たるパトカーを押し切り2度目のダンプカー突入。

同年同日
栃木県氏家町で、田野七代目の幹部関谷弘美を射殺。

同年4月23日
茨城県岩瀬町の親和会大和屋六代目大塚組の組事務所にクレーン付4トントラックが突入。

同日
栃木県警が大栗組事務所と田野七代目事務所に、暴対法に基づく「組事務所の使用制限」の仮命令。
宮城県警が仙台市の東海興業事務所に、暴対法に基づく「組事務所の使用制限」の仮命令。

同年5月5日
名古屋の弘道会本部近くの路上で、弘道会系司龍興業組員が車に乗っている所を銃撃され重傷。

同日
栃木県佐野市の親和会系光京睦会本部で、同会特別相談役の野沢昇平と、同会系で鈴木組組員の渡辺利敬が玄関から押し入り、射殺。

同日
宇都宮市の親和会系下馬木一家近くの路上で、警戒中の勘助十三代目組員井野靖を銃撃、重傷。

同年5月6日
群馬県桐生市にある住吉会系事務所に発砲。

同日
茨城県土浦市の山口組系組員宅に発砲。

同年5月9日
愛知県警が弘道会本部に、暴対法に基づく「組事務所の使用制限」の仮命令。

同年5月13日
栃木県警が親和会本部と光京睦会総本部に、暴対法に基づく「組事務所の使用制限」の仮命令。

同年5月14日
栃木女子高校正門前の郵便局駐車場で、車に乗った男が親和会系樺山組組員舟橋一也を射殺。

同年5月15日
東海興業、大栗組、田野七代目の三組事務所に出ていた「組事務所の使用制限」の仮命令が本命令に。

同日
弘道会本部が、傘下組織に抗争中止命令。

同日
山形県山形市で、弘道会系組織関係者が車に乗っている所を、三人組の男に銃撃され重傷。

同年5月19日
福島県福島市のコンビニ駐車場で、弘道会系組員が銃撃され軽傷。

同年5月20日
山形市の弘道会系高橋興業の事務所に、銃弾が撃ち込まれた。

同年5月23日
仙台市の東海興業幹部自宅玄関付近で、鉄パイプ爆弾が爆発。

同年6月12日午前
東京都内のホテルで、弘道会と親和会が和解交渉し抗争終結。

こうして7県にまたがり、死傷者7名を出した抗争は収束した。

事件後

この抗争の当事者、大栗彰率いる大栗組は大道興業と名称をを変え、弘道会の直参に昇格し、弘道会の三代目体制では若頭補佐に就いている。事件当時の大栗組は弘道会の直参東海興業の下に位置する四次団体だった。
見方によっては末端の小競り合いとも見れるが、住吉会が勢力を張る地盤に楔を打ち込むという意味でも、弘道会あげて抗争に取り組む意味があったとみられる。
司忍が六代目を襲名する二年前の抗争だった。