山極抗争

事件

平成5年(1993年)7月17日
北海道札幌市で三代目山健組北竜会若頭補佐の小室雅彦(小室興業)が極東会系の事務所で刺殺された。

背景

小室雅彦と関係の深い麻雀店経営者が、麻雀の賭け金をめぐるトラブルから、極東会系の事務所へ押しかけ小室雅彦もこれに同行し、相手側と交渉したが収拾が付かなくなり、殴り合いの喧嘩となった挙句相手に刺殺された。

経過

事件から9時間後には、山健組が帯広市にある極東会系の組事務所を襲撃し、極東会系組員が重傷を負い3日後に死亡。
抗争は全国各地に飛び火し、山健組の極東会系への攻撃が激化した。
極東会系に8人の死傷者が出た。

最初の事件から2日後の7月19日には、極東会系が神戸の三代目山健組の本部事務所を車から銃撃。警備のため車に乗り込み待機していた山健組々員が銃撃した車を追いかけるが見失った。

同年7月21日
警察はそれまで指定暴力団でなかった極東会を「指定暴力団」に指定した。
暴対法を適用し、「抗争時の組事務所の使用制限命令」を出すためだった。
抗争は下火に向かった。

平成5年7月21日
山口組とは親戚関係にある稲川会と、関東二十日会の当番であった住吉会を通して和解交渉があり、和解した。

事件後

山極抗争では、短期間のうちに12の都道府県で40件以上の発砲事件が起こり、双方に合計死者3人と重傷者6人が出た。