山口組々長と国籍

昔から言われる噂として、「在日の者は当代になれない」というのがある。

これまでに代をとってきた者は初代山口春吉から山口登は親子の関係である。
三代目田岡一雄、四代目竹中正久、五代目渡辺芳則、六代目司忍らは皆日本人だと言われている。

山口組の代を継ぐにあたってはっきりと明文化されている条件というのはないものの、そう言われる根拠が過去にはあった。

三代目田岡組長の頃、田岡はたとえ組織に功績ある者であっても在日韓国人を執行部には入れなかった事実がある。当時田岡の若中に柳川次郎という在日韓国人がいた。彼の率いる柳川組は在日韓国人を中心に組織され、抗争を繰り返しながら日本各地に進出し、殺しの軍団と恐れられ最盛期には約2000人の組員を抱え山口組傘下の二次団体でありながら広域暴力団に指定されるほどの大組織だった。
田岡の野望、全国制覇の先駆けとなり実績も組織力も申し分のない柳川組であったが、山口組の執行部には入る事がなかった。大組織でありながらもいわゆる「ヒラの若中」という不自然さがあった。

こういう事実からも在日組員に対して田岡は何らかの考えがあったのではないだろうか・・・
と言われている。柳川組はその後組織を解散するのだが、このとき当局から強制送還を引き合いに出され、脆くも解散したのではないかと言われている。このことから田岡は帰化しない在日韓国人を組織の中心に置くことをあえて回避していたのではないかとみられている。

時代は進んで六代目の現在。顧問や執行部には帰化していない在日韓国人の幹部は登用されている。当時とは時代背景も違い強制送還の用件も変化している。まして山口組においても在日韓国人組織の功績を抜きにして現在の繁栄もなかったはずである。他の指定暴力団には在日韓国人トップもいる。山口組においてもトップや執行部の国籍自体が組織にそれほど影響を及ぼす事は今の時代ないのではないだろうか・・・

しかし田岡の伝統に拘るのであれば、今後も代を継承するのは日本人に限られるのかもしれない。