2005年7月司忍は六代目山口組組長に就任した。
それまで16年間組長の座にあった渡辺芳則は引退した。
この交代劇をめぐって様々な憶測が流れ山口組に身を置く者であってもハッキリとした真相を知るものは少ない。近年盛力健児氏の著書「鎮魂」により交代劇の一面が明らかにされたが、その盛力氏もその場に居合わせた訳ではなかった。
では、追放されるかのように山口組を追われた五代目組長渡辺芳則には,追放されるだけの理由はあったのだろうか?
こんな話がある・・・
渡辺の夫人は夫の五代目就任と同時に神戸市内にブティックを開店し非常に高額な服の販売を始めた。山口組に名を連ねる者としては姐さんの店ということもあり進んで多額の買い物をする事となる。夫人もまた新商品の入荷を積極的に電話で知らせ販売に熱心だった。ちなみにこの店は渡辺の引退と同時に閉店している。
他にもある・・・
ある地方で大きな開発工事があった時、通例なら地元の直参組織が取り仕切ってシノギとする所を割って入り自身の影響下にある業者をねじ込み影で不評を買うこともあった。
山口組の当代として十分に富を得ながらも直系組長達のシノギにまで干渉し割り込むような行動を不満に思う者も多かったはずである。逆手に取り、一儲けした直参の中には渡辺に収益の一部を差し出す者もいたという。これを遠慮なく受け取った。
かつて三代目田岡組長は「私はうどんの一杯ですら若い者におごってもらった事はない」と言い切っていた。また四代目竹中組長は襲名祝いに現金を差し出された時、「バカな事をするな」と持ち帰らせている。
何を物差しにヤクザを計るかは人それぞれである。とりわけ渡辺は金の力を重視したようである。後年使用者責任で裁判を抱えるようになる頃、夫人とは戸籍上離婚している。これは財産を守るためだと見られている。
盃をもらった以上、表立って親分を批判する事はできない。しかしこのような渡辺に心酔していく者はいたのだろうか?クーデターがあったとするならそのあたりに下地が出来上がっていたのではないだろうか?
「追放があってもおかしくない」状況はあったと言える。
五代目襲名後も組織の判断や舵取りは宅見が握っており、宅見の死後は執行部が握った。渡辺自身が手腕を発揮する事はなく奥へと追いやられ、後任の若頭人事に意中の人物はいたものの、それを独断で決められる力はなかった。
意中の人物の引き上げも遅れていた。
組織への決定権を持たない事が結局渡辺を守りきれなかった。
君臨すれど統治せず・・・
山一抗争終結時、真に力あり知恵ある先輩たちの損得勘定の上に成立した五代目襲名だった。五代目決定には政治的側面が大いにあった。
もう一つ・・・
宅見事件の証拠を司が握ったという事も言われているが、それだけが理由ということも事件からの年数を考えても不自然な面もある。
それもあったかもしれないが・・・
「切り札」を持って追放したということではなく、それなりに長年積み重なった背景があると考えられる。単純な追放劇ではなく渡辺体制ではこの先立ち行かないと執行部は考えたはずである。
いずれにしても引退は渡辺自身の本意ではないという事は間違いない事実だろう。
とすれば・・・
限りなく「クーデター的に」代替わりしたということになる。