山一抗争(時系列)


昭和59年(1984年)

6月5日
直系組長会で、山口組若頭竹中正久の山口組四代目組長就任が決定。

7月10日
襲名式が執り行なわれた。

8月5日
和歌山県串本町の賭場で、山口組系松山組内岸根組々長・岸根敏春が、一和会系坂井組串本支部若頭補佐・潮崎進を刺殺した。

8月23日
「義絶状」を友誼団体に送付。

9月3日
一和会系宮脇組内首竜会副会長・衛藤一生が、山口組系石井組内石友会々長・徳弘喜一郎を入院先の病院で、銃撃し重傷を負わせた。

9月15日
尼崎市で路上で山口組系古川組々員と一和会系伊原組々員がトラブル。
古川組々員が重傷。

12月3日
一和会系伊原組幹部文斗一が山口組系古川組々員に銃撃され重傷。

昭和60年(1985年)

1月26日
一和会の襲撃部隊が竹中正久ら三人を銃撃。ボディーガード南力は即死、若頭中山勝正も4時間後に死亡、竹中は大阪警察病院に搬送され死亡。

2月5日
舎弟頭・中西一男が組長代行に、若頭補佐・渡辺芳則が若頭に就任

2月7日
高知市鴨部の国道56号線で一和会系中井組内弘田組舎弟の竹中幸雄と山口組系豪友会内勝友連合の高橋司らが車同士で遭遇し銃撃戦となった。

高橋司は元高知県警の警察官だった事が判明する。

2月12日
三重県一志郡嬉野町で、一和会系水谷一家内一友会の相談役が二人組の男に銃撃された。

2月19日
山口組系弘道会内菱心会組員・竹内照明らが一和会系山広組内後藤組若頭・吉田清澄を拉致、後藤組の解散を迫った。これに対し後藤栄治は、解散届を三重県津警察署に届け、速達で山口組本部に「詫び状」を送付。「弘道会菱心会組員に拉致された吉田清澄を解放して欲しい。自分は自首する」と訴えた。弘道会菱心会は吉田清澄を解放したが後藤栄治は自首しなかった。

2月23日
高知競輪場で山口組系豪友会内誓心会副会長・堀川鉄壁と同じく豪友会内智友連合若頭補佐・橋本幹樹らが一和会系中井組本部長補佐・横川政博、組員・日浦寿、前田強ら3人を銃撃し、横川と日浦が死亡。前田が重傷。

3月2日
高知県警は、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反、凶器準備集合罪で、二代目豪友会々長・岡崎文夫を逮捕した。

3月5日
大阪市西成区の一和会溝橋組事務所で、溝橋組幹部大岩正博が突然の訪問者に背中を撃たれて重傷を負った。

3月6日
三重県四日市市の喫茶店で、一和会系水谷一家組長・宮本一利の元相談役清水幹一が山口組系宅見組内勝心連合会の2人に拳銃で胸と腹を撃たれて死亡した。

3月17日
一和会系中井組内弘田組舎弟竹中幸雄らは山口組系豪友会内岸本組の事務所に侵入し、組員・吉門正光を拳銃で撃った。5日後に死亡した。

3月24日
甲子園球場の駐車場で、山口組系竹中組内塚川組々員・桃井省三らが、一和会特別相談役大川覚のテキヤの長男を銃撃し重傷を負わせた。

同日
大阪市の一和会系徳山組内徳心会組員が、徳心会事務所前で、足を2発銃撃され全治3週間の怪我を負った。

3月25日
山口組系章友会組員2人が滋賀県栗東町の病院前で一和会系井志組内高橋組の相談役を包丁で刺殺。

4月4日
山口組系豪友会内岸本組幹部・谷脇修が、一和会系中井組事務所宛の宅配便を依頼し、宅配便配達員とともに中井組事務所に向かい、宅配員に呼び鈴を押させ、中井組事務所のドアが開いたところで、一和会系中井組々員・門屋義之を射殺し、他の中井組々員に重傷を与えた。

4月5日
山口組定例会で、誠友会の舎弟待遇での山口組加入を発表。

4月12日
山口組系弘道会内薗田組幹部・甲田幸雄ら3人が名古屋市のレストランで、三重県四日市市の一和会系水谷一家内隅田組幹部・中本昭七と組員・島上豊を拉致した。
薗田組幹部ら3人は、警察に電話して「水谷一家が一時間以内に解散届を出すのならば、2人を解放する」と伝えた。水谷一家は解散を拒否した。
拉致された隅田組ではこれに対抗し、弘道会系菱心会内鈴木組々員・長井勝次を拉致した。翌日、薗田組幹部らは中本昭七を射殺し、島上豊に重傷を与え、名古屋市中村区の赤十字病院の駐車場に放置した。

逆に拉致されていた弘道会系菱心会内鈴木組々員・長井勝次は伊勢市民病院前で手足に数発の銃弾を受けた状態で発見された。

4月14日
一和会吉田好延副幹事長は、一和会定例会からの帰る途中、国鉄三ノ宮駅前の交差点で停車中に、山口組系後藤組幹部・佐藤明義に38口径の拳銃で4発銃撃された。吉田好延は無事で、同乗していた組員2人が窓ガラスの破片で負傷した。

4月21日
山口組系山健組内極心連合会幹部ら2人が、大阪市西淀川区の一和会系加茂田組内西林組事務所で銃弾5発を乱射した。西林組幹部・園田卓磨が被弾して、全治3週間の怪我を負った。

4月23日
大阪市浪速区の一和会系白神組内勇魂舎の事務所に銃弾が打ち込まれた。

同日
和歌山市のクラブ「シンザン」で、山口組系山健組内健竜会傘下の梁取総業組員が、一緒に酒を飲んでいた一和会系松美会内光山組々長・光山勝治をボトルで殴打した上で、射殺した。

同日
神戸市中央区花隈町の山口組系山健組事務所近くの駐車場で、一和会系加茂田組々員が、車を走らせながら車内から拳銃で発砲した。山健組内高橋組々員・川崎竜夫ら3人が負傷した。通行中だった団体職員も右足に被弾した。団体職員は全治1ヶ月の重傷だった。山一抗争で初めて市民が巻き込まれた。川崎竜夫は4日後に死亡した。

4月28日
神戸市長田区の加茂田重政宅前のたばこ屋で、公衆電話をかけていた一和会系加茂田組内河内組々員鄭海鎮が、山口組系山健組内鷲坂組幹部に右腹部を銃撃されて、重傷を負った。

5月5日
加賀市山城温泉で山口組系紺屋組幹部2人が、一和会系加茂田組内宮原組傘下奥原組事務所に宅配便の配送員を装って押し入り、拳銃を乱射。奥原組若頭・佐々木俊彦を射殺し、奥原組幹部・萩原貴之に重傷を負わせた。

同日
大阪市中央区加納町の山口組系岸本組事務所横の路地で、岸本組内南野組々員・西村賢次が、2人組の男に拳銃で射殺された。

5月20日
神戸市東灘区の一和会々長・山本広宅で、山口組系後藤組と山口組系美尾組の組員ら3人が、大型ダンプカーで突入しようとして、山本広宅を警備していた県警機動隊員と撃ちあいになった。後藤組幹部が機動隊員に左肩を撃たれて重傷を負った。

5月23日
一和会系加茂田組内小野会々長が兵庫県加西市でパチンコ中銃撃され軽傷。

6月23日
香川県高松市のパチンコ店で、山口組系一心会幹部・美村道彦と同じく一心会内南声会組員らが、一和会系山広組幹部・岩附秀雄を射殺した。

7月21日
高知市中水道のアパートで、山口組系豪友会内岸本組幹部・足立栄祝が、就寝中に右手と右脇腹を銃撃されて重傷を負った。

9月3日
竹中組相談役・竹中正と織田組々長・織田譲二が、ハワイでアメリカ連邦麻薬取締局に逮捕される。

10月27日
鳥取県倉吉市のスナックで、山口組系竹中組内杉本組傘下の輝道会組員・清山礼吉が女装して、一和会幹事長補佐・赤坂進を呼び出し、輝道会組員・山本尊章が赤坂進と赤坂組々員・田中義昭を射殺した。清山礼吉は包丁で他の赤坂組々員を刺して重傷を負わせた。

12月20日
神戸市中央区北長狭通りの一和会本部前で一和会系中川連合会内愛国青年同盟の幹部・戸田昇と一和会系松美会組員・今井浩平が銃撃された。戸田昇は死亡。今井浩平は重傷。

12月25日
神戸市三ノ宮駅前のセンタープラザで、一和会組織委員長北山悟が、3人組の男に銃撃されて負傷した。

昭和61年(1986年)

1月21日
加古川市で山口組系竹中組内大西組々員・前田哲也と山本孝道が、一和会系加茂田組内小野会々長小野敏文の自宅に押し入り、加茂田組からの脱退届を書くように要求した。小野敏文が要求を拒否すると、射殺した。

1月22日
和歌山市畑屋敷の交差点で、一和会系松美会内吉田組々員・松岡勤が、赤信号で停車していたところ、山口組系小山組内吉村組の幹部に銃撃された。松岡勤は病院に搬送される途中で死亡した。

1月24日
田岡文子が、肝硬変で死亡。

2月2日
一和会系加茂田組内大響会組員が大阪市住吉区の路上で銃撃され死亡。

2月24日
別府市内のクラブで、山口組系石井組内石友会組員が一和会系稲葉一家稲葉実組長を拳銃で銃撃した。

2月27日
姫路市深志野の竹中正久の墓の前で、一和会系加茂田組内花田組々員が、山口組系竹中組内柴田会組員・井垣道明と星山勲を射殺した。

3月7日
大阪ミナミの盛り場で、一和会系組員が銃撃されて、重傷を負った。

4月26日
竹中組相談役・竹中正と織田組々長・織田譲二が、無罪判決を受け釈放。

5月21日
大阪市ミナミの路上で、山口組系竹中組内生島組幹部・北原智久と同組幹部・大宮真浩が、タクシーで移動中の一和会副本部長中川宣治を射殺した。

その後大宮真浩は、マンション9階から投身自殺を図り、いったんは一命を取り留めたがその後死亡した。

8月6日
大分県別府市国際観光港前の国道で、一和会系稲葉一家組員が山口組系石井組内石友会々長・徳弘喜一郎を拳銃で銃撃した。

昭和62年(1987年)

2月2日
サイパン島バンザイ岬沖で、一和会常任顧問・白神英雄の射殺死体が発見された。

2月4日
直系組長会で執行部は竹中武に、山一抗争終結への意向を質した。武は「直系組長会において終結に反対か賛成か採決しよう」と提案。しかし執行部は、武の提案通り採決しなかった。

2月8日
臨時の直系組長会が開かれ、直系組長86人が出席した。組長代行の中西一男は山一抗争終結の決定を指示した。竹中武は異議を唱えなかった。

この後、竹中武は、執行部に一和会との抗争継続の意志を示し、山口組からの脱退を申し出た。執行部は竹中武に思い止まるように説得した。

6月13日
大阪府枚方市のレストランで、一和会系山広組内川健組々員・横尾勝と今堀義浩が、食事中だった山口組系山健組内中野会副会長・池田一男を射殺した。
事件直後、山健組では池田一男の殺害を砂子川組の犯行と勘違いし、砂子川組を激しく攻撃した。後に一和会の犯行と判明し、二代目山健組々長・渡辺芳則は砂子川組に謝罪した。

6月22日
別府市緑ヶ丘町路上で、山口組系石井組内江口組々員が、一和会系宮脇組内首竜会々長・首沢元人を、拳銃で射殺した。

11月26日
山口組本家で中山勝正と南力の合同組葬が営まれた。

昭和63年(1988年)

1月3日
神戸市の一和会系山広組事務所の南隣の駐車場で、山広組事務局長・浜西時雄が、不審な車を発見し、車中を覗き込もうとした。車の外で待機していた山口組系山健組々員・井上浩と野田桂治は、浜西時雄を射殺した。

2月17日
東灘区の山本広宅近くの路上で、山口組系竹中組若頭補佐・増田国明と増田組々員・西浦恵信の2人が、警察官に職務質問された。2人の乗っていた車から、拳銃4丁アメリカ軍用M67型手榴弾2個、実弾25発が発見された。

4月11日
北海道札幌市ススキノで、一和会系加茂田組内二代目花田組・丹羽勝治組長が喫茶店を出たところ、山口組系弘道会内司道連合幹部・佐々木美佐夫ら2人に銃撃された。丹羽勝治は銃弾を受けたが、マンションに逃げ込んだ。エレベーターホール前で、追いつかれ射殺された。

5月7日
一和会副会長兼理事長の加茂田重政が、加茂田組を解散し引退。

5月14日
神戸市東灘区御影で山口組系竹中組内安東会々長・安東美樹らが一和会々長・山本広の自宅を襲撃。警備の警察官3人を銃撃し負傷させた上で、山本邸めがけ、てき弾を発射するが防御ネットにはね返される。

5月21日
一和会幹事長代行・松本勝美が、松美会を解散し引退。

5月28日
兵庫県警は、安東美樹を指名手配した。

6月10日
佐世保市の一和会理事長補佐・福野隆が、一和会から脱退。

6月16日
名古屋市の一和会常任幹事・中村清が、中村組を解散し引退。

10月1日
松山市の全日空ホテル前で、一和会系神竜会組員・山下竜二が、神竜会幹部を全日空ホテルに送り車に戻ったところ、山口組系竹中組内西岡組々員に銃撃され、翌日死亡した。

同月
高知市の一和会最高顧問・中井啓一が、中井組を解散し引退。

昭和64年(1989年)(平成元年)

2月27日
定例組長会で、竹中武の若頭補佐就任を決定。

3月16日
山口組若頭・渡辺芳則は大津市の会津小鉄会・高山登久太郎会長宅で、高山の立会いの下、山本広と面談した。稲川会幹部も同席した。山本広は一和会解散と引退を認める文書を、渡辺芳則に渡した。

3月18日
山口組本家で山口組緊急執行部会が開かれ、山本広引退の経緯が報告された。

3月20日
大阪高等裁判所で、竹中正久殺害を指示した石川裕雄と竹中殺害実行犯の立花和夫の無期懲役が決定した。

3月22日
山口組緊急幹部会が開かれた。竹中武だけは山一抗争の継続を主張した。

3月30日
一和会々長・山本広は稲川会本部長・稲川裕紘に付き添われ、山口組本家を訪れた。山口組執行部(武は出席しなかった)に、自身のヤクザからの引退と一和会解散を告げ、竹中正久殺害を詫びた。