事件
平成19年5月31日
神戸市中央区の路上で、四代目山健組内五代目多三郎一家の後藤一男総長が、胸などを刺され間もなく死亡した。弘道会と同じ名古屋に地盤を持つ後藤一男総長は、四代目山健組の発足と同時に同組の舎弟頭補佐に就任していた。
警察による事件の見方
当時後藤一男総長が、服役中の六代目組長・司忍に代わって指揮を取っていた本家の高山若頭を公然と批判していたことは警察も把握しており、山健組が山口組本家での体面を守るために制裁目的で殺害したと見ていた。
その後、後藤総長は殺害の前日に破門されていたという話が出てくる。
実行犯ら
平成21年になって、すでに殺人予備で逮捕されていた関係組員らを殺人容疑などで再逮捕し実行犯として起訴した。平成21年6月から9月にかけて神戸地裁は犯行に加わった実行犯らに殺人幇助罪や殺人罪で懲役4年~13年を言い渡した。運転手役だった者には懲役3年、執行猶予5年と執行猶予付きの判決が出た。
平成22年4月
組織犯罪処罰法違反容疑で四代目山健組の若頭で健國会々長の山本國春(井上国春)を逮捕した。警察は当初からこの事件を山健組の若頭・山本國春が率いる健國会の組織的犯行と見ていた。この事件での逮捕者は13人目となった。山本國春の逮捕で警察の考える首謀者にたどり着く格好になった。
首謀者の裁判
平成24年2月
山本國春は組織犯罪処罰法違反(組織的殺人)の罪で起訴されたが、裁判では弁護側が「殺害を指示したことはない」と無罪を主張。対する検察側は「山本被告は殺害直前、現場指揮役に、後藤組長の居場所を携帯電話で教えた」など指示があったとしていた。
一審は裁判員裁判として行われ裁判長は判決理由で、「指示をする際に使用したとされる携帯電話について、山本会長が主に 使っていたとは認められない」として「殺害直前に、指揮役に連絡を取ったと断定できない」とした。また「殺害に関与していた可能性はあるものの、組織的犯行とするには合理的な疑いが残る」との理由で無罪を言い渡した。
平成24年3月
組織犯罪処罰法違反(組織的殺人)の罪に問われていた健國会の若頭で賢仁組々長、川田賢一被告に対して懲役19年(求刑懲役25年)を言い渡した。なお、川田は山本会長の関与を否定している。この判決では「配下の組員(運転手)の証言や携帯電話の通信履歴などから山本会長が実行役に被害者の居場所を教えたと“推認”できる」と共謀があったと判断しており、山本被告が無罪となった一審判決とは、事件についての解釈が逆の内容となっている。
この山本裁判と川田裁判はどちらも裁判員裁判で、同一の事件でありながら異なる見解が出された。川田側は控訴するも、大阪高裁は一審判決を支持して控訴を棄却。川田は現在服役している。
一審で無罪となった山本会長の裁判は、検察が控訴し大阪高裁へ移った。
逆転有罪
平成26年1月
検察が控訴した山本國春被告の控訴審判決で、大阪高裁は一審の裁判員裁判の無罪判決を破棄し、懲役20年を言い渡した。判決理由で裁判長は「暴力団特有の厳格な上下関係や暴力的価値観を背景とする絶対的なものであることは経験則上明らか」と述べ「健國会の最高幹部や下部組織の組員が相当数関与し、実行者の人選や運搬、実行、逃亡支援などの役割分担がされており、健國会の指揮命令系統に従って組織的に準備、遂行された」と認定した。さらに、犯行の動機が幹部らの個人的な利益とは到底考えられないことから、「上部組織との関係を含む健國会としての重大な利害のために行われたことは自明というほかない」と指摘。健國会のために組織として行われた犯行である以上、「山本被告の指揮命令に基づかずに行われたというのは、極めて不自然で通常はあり得ないというべきだ」と結論づけた。
推認に推認を重ねた上に認定し、一審の裁判員裁判の判決を「経験則に反する不合理なもの」と断じた今回の大阪高裁判決。司法の世界には「疑わしきは罰しない」という言葉があるが、やくざには到底適用されない。しかし本来裁判は証拠や自白に基づいて審理し裁かれるべきで、推認の積み重ねで罪が認定されるのなら、もうそれは裁判とは言えないのではないか。
最近のヤクザの裁判では、よくこの推認という言葉が出てくるが、証拠なしで20年もの長期刑を言い渡していいのだろうか?推認という言葉を使うのであれば、明らかに証拠が足りない公判においては、無罪へと推認するべきではないだろうか。
山本國春被告はすでにヤクザを引退し、判決を不服として現在上告している。