山口組分裂の夏からかなりの時間が経った。
分裂当時、過去の四代目山口組が発足した時の事とよく比較もされてきた。
歴史は繰り返すのか?
もしそうであれば割って出た神戸山口組は瓦解して行くのだろう。ところが分裂直後から神戸山口組側は数を増やし続けている。六代目体制で処分され極道界から身を引いていた親分衆の復帰だけでなく、六代目山口組からの移籍も後を絶たない。これらはいったいどういう事なのだろうか?
四代目山口組と一和会との分裂に共通点を見出すことは、時代背景や分裂状況の相違点も多く同列に語ることは出来ないが、規模的に似通った部分もあり無駄ではない。
よく言われるのが本流側と割って出た側という言い方だ。歴史上割って出た側が衰退していくのが当然と言う見方がある。六代目山口組を四代目山口組、割って出た神戸山口組を一和会というようになぞらえているのだろう。
ところがこの比較は、むしろ逆ではないかと思える状況になってきた。
当時を振り返ると山一分裂後、一時は自身の親分について一和会側に身を置いた者でもその後一和会を離れ四代目山口組の系列組織に移る者が後を絶たなかった。個人的な移籍だけでなく組員を抱える三次団体としても移籍の流れは一和会から山口組へというのが多くあった。これに引き換え山口組から一和会へという移籍は皆無だった。当時のこの流れは一和会全体の士気を下げ、逆にトップを取られながらも勢力を逆転した四代目山口組側の士気を高めた。
分裂時一和会側には業界的に有名な大物親分も多く、全体の組員数でも四代目山口組を上回っていた。そして四代目山口組側のトップとナンバー2を暗殺しながらも一和会は衰退した。
一説に組員の多くは長年慣れ親しんだ山菱の代紋への愛着を忘れられず、山口組へと回帰する者が多くいたという説もあるが、それも今はむしろ逆で、本来あるべきヤクザの道を歩けるのは神戸山口組の方ではないかと考えているのではないだろうか。六代目山口組の中にいて抑圧されてきた気持ちを開放できそうなのは、むしろ神戸山口組の方ではないかと・・・。
こういう状況を見ると、やはり当時の一和会に似た状況にあるのは六代目山口組で、当時の四代目山口組に似た状況にあるのは神戸山口組ではないのだろうか。
ヤクザの争いの決着にルールはない。
あるのは数値化できない組織の勢いや、全体の空気感という見えない力が徐々にその勝敗を支配していくという現実だ。今、どちらに勢いがあるだろうか。弱体化する側と膨張する側を定義すれば、どちらにそれが当てはまるのかを考えると割って出た側が一和会と同じ運命をたどるとは言い切れない部分が多く見受けられる。
むしろ一和会に似た状況は、六代目山口組側にあるのではないだろうか。
山一抗争当時、一和会々長の山本広はほとんど身を隠し一和会の組員らに何らメッセージが届くことは最後までないままだった。今、六代目山口組で司忍組長が今後どういう考えでこの分裂を処理していくのか、どのように組織運営をしていくのかメッセージは届いているのだろうか。