2011年産経新聞の司忍組長のインタビューを検証する

2011年、刑期を終えて出所して間もなくの10月MSN産経ニュースに司忍組長へのインタビュー記事が掲載された。かなり古い話題だが、この時の一問一答インタビューを検証してみたいと思う。

当時一般人の中でも感銘を受け評価するような意見もあったが、その辺はどうなのだろうか。大山口組の頂点に立つ人が言う事なのだからと、手放しで評価するには何点か疑問も残る。また本音を語れない司組長の苦悩も感じられる。

以下内容を一部抜粋してみたい。緑色部分は記事からの引用。

--全国で暴力団排除条例が施行されるなど暴力団排除の機運が急速に高まっているが、どのように捉えているか

 「異様な時代が来たと感じている。やくざといえども、われわれもこの国の住人であり、社会の一員。昭和39年の第1次頂上作戦からこういうことをずっと経験しているが、暴力団排除条例はこれまでとは違う。われわれが法を犯して取り締まられるのは構わないが、われわれにも親がいれば子供もいる、親戚もいる、幼なじみもいる。こうした人たちとお茶を飲んだり、歓談したりするというだけでも周辺者とみなされかねないというのは、やくざは人ではないということなのだろう。しかも一般市民、善良な市民として生活しているそうした人たちがわれわれと同じ枠組みで処罰されるということに異常さを感じている。先日、芸能界を引退した島田紳助さんの件は条例施行を前にした一種のデモンストレーションだったとしか受け止められない。われわれは日本を法治国家と考えている。俺自身も銃刀法違反罪で共謀共同正犯に問われた際、1審では無罪という微妙な裁判だったが、最高裁で実刑判決が確定した後は速やかに服役した。法治国家に住んでいる以上は法を順守しないといけないとわかっているからだ。今回の条例は法の下の平等を無視し、法を犯してなくても当局が反社会的勢力だと認定した者には制裁を科すという一種の身分政策だ。今は反社会的勢力というのは暴力団が対象だが、今後拡大解釈されていくだろう」

確かに前半部分は、その通りで問題が多い。しかし後半部分自身の服役に関して、法治国家に住んでいる以上は法を順守しないといけないという部分の解釈について、法の順守という尊法精神を言うのであれば、拳銃を持たない事が法の順守で服役は刑罰だ。もちろん司組長は共謀共同正犯の部分を争っていたので、刑自体が冤罪であるという解釈もある。

--今後、山口組をどのように運営していくつもりなのか。広域暴力団という形を捨てたり、解散したりする考えはないか

「山口組を今、解散すれば、うんと治安は悪くなるだろう。なぜかというと、一握りの幹部はある程度蓄えもあるし、生活を案じなくてもいいだろうが、3万、4万人といわれている組員、さらに50万人から60万人になるその家族や親戚はどうなるのか目に見えている。若い者は路頭に迷い、結局は他の組に身を寄せるか、ギャングになるしかない。それでは解散する意味がない。ちりやほこりは風が吹けば隅に集まるのと一緒で、必ずどんな世界でも落後者というと語弊があるが、落ちこぼれ、世間になじめない人間もいる。われわれの組織はそういう人のよりどころになっている。しかし、うちの枠を外れると規律がなく、処罰もされないから自由にやる。そうしたら何をするかというと、すぐに金になることに走る。強盗や窃盗といった粗悪犯が増える。大半の人たちはわれわれを犯罪者集団と突き放していることはわかっている。その一因が私たちの側にあるのも事実で、そうした批判は謙虚に受け止める。しかし、やくざやその予備軍が生まれるのは社会的な理由がある。そうである以上、俺にできることは、これまで以上の任侠道に邁進する組織にすることだ。ぜい沢を求めて、自分勝手な行動を取る者は脱落する。組員はごく普通に暮らせればいい。そういう人間を一つの枠で固めているから犯罪が起きにくいという一面もある。矛盾しているように聞こえるかもしれないし、なかなか信じてもらえないだろうが、俺は暴力団をなくすために山口組を守りたいと考えている。そのことはこれからの行いで世間にご理解を願うしかない」

これらは三代目田岡組長の頃から多くの団体で主張されてきたことだが、当時とは社会背景が違ってきている。何より山口組自体が大きく変わってきた。賭博や違法薬物など裏社会だけでの需要と供給を満たし合う組織であった頃は、国家のお目こぼしの中で生かされてきた。ところが今では振り込め詐欺の元締めが山口組系であったり、どう考えても世間の賛同を得られない事件に山口組の名前が出る。

--世間の人は暴力団組員が「普通に暮らせればいい」と思っているとは思っていない

「これだけ締め付けられ、しかもこの不況下でぜい沢ができるわけがない。そもそもやくざをしていて得なことはない。懲役とは隣り合わせだし、ときには生命の危険もある。それでも人が集まってくる。昔から言われることだが、この世界で救われる者がいるからだと思う。山口組には家庭環境に恵まれず、いわゆる落ちこぼれが多く、在日韓国、朝鮮人や被差別部落出身者も少なくない。こうした者に社会は冷たく、差別もなくなっていない。心構えがしっかりしていればやくざにならないというのは正論だが、残念ながら人は必ずしも強くはない。こうした者たちが寄り添い合うのはどこの国でも同じだ。それはどこかに理由がある。社会から落ちこぼれた若者たちが無軌道になって、かたぎに迷惑をかけないように目を光らせることもわれわれの務めだと思っている」

この点はもっともなことだが、堅気に迷惑をかけないように目を光らせているのかどうか多くの一般人が疑問に思っている。一般人に迷惑をかけて処分があるのだろうか。先日も直参が一般人を殴ったという容疑で逮捕されているが、こういう件に関して破門になった、謹慎になった、という情報が世間に届けば、山口組の規律に本気度を感じることが出来るが、そういった話は聞かない。

--警察当局は山口組と、組長の出身組織の弘道会を集中的に取り締まっているが、どう考えるか

 「山口組については、多少なりとも法に触れた者が多かったのだろう。法に触れた以上は検挙されても仕方がない。弘道会は山口組若頭の高山(清司被告=恐喝罪で起訴)に代替わりをして、もう6年になる。山口組というのは個々の組が山口組の綱領を守りながらも独立した組織になっている。弘道会がどういうことをしているか把握していない、というよりも関知していない」

それぞれ独立した組織で、自身の出身母体である弘道会でさえその中身は把握も関知もないと言うが、それでどう指導していくのだろうか。当然この表現には使用者責任など昨今の情勢に用心した発言だと思う。そのためインタビュー全体を通して大きな矛盾が出てしまう。立場上表現には気を使いつつ答えているのだろうが、理想論では世間も受け入れることは難しい。

-犯罪収益が資金源になっているのではないか

 「われわれは泥棒や詐欺師ではない。オレオレ詐欺なんてとんでもない話だ。年老いた親の世代をだましたり、貧困ビジネスという食えない身寄りのない路上生活者をむしるようなことは断じて許されない。少なくとも山口組にそうした者がいれば厳しく処分する。そもそも山口組は下部組織からの上納金で毎月多額のお金を集めていると思っているのではないか。そんなことはありえない。山口組は経費として、全員でその月その月の頭割りで個人負担しているだけで、上納金なんて一切ない」

上納金と会費という呼び方は山口組ではデリケートに扱われている。しかし世間がどう表現するかに関わらず、名目がどうあろうと現実に下部組織では上部団体へ「差し出す金銭」について四苦八苦しているのは公然となっている。トップに立つ者が関知しない、把握しないでこの先立ち行くのだろうか。

関知や把握の度合いは、共同正犯や使用者責任の裁判の際、大きく判決に影響するため慎重に発言したことは想像がつくが、言葉通りに受け止めると山口組が更に弱体化していくのではないかと考えられる。現にこのインタビュー後も弱体を続け、数年後分裂に至っている。