司忍が語った弘道会の強さ

山一抗争真っ只中の昭和63年(1988年)に作家の溝口敦が、当時弘道会々長の司忍に取材をした時の内容。

司忍
「うちに強いというイメージがあるとしたら、結局、われわれが神戸から中京に入って行った時には『なんや山口組?どこの組や?』いう時代だったでしょう。しかも警察の圧力、地元の団体の圧力に絶えずさらされておった。

それからうちの一組で五つも六つも地元の組織とやり合って、ずーっと来てるから。今回みたいな大きな抗争(山一抗争)になっても、手弁当で喧嘩するいう意識が残ってる。ゼニはないけど、握り飯食ってでも喧嘩やるぞという気持ちがあるから。うちは貧乏してる組だから、手弁当で『よっしゃ、喧嘩するんや』といういいとこは残っとるわね、田舎の出の人間が多いもんでね(中略)。
まあ極端に言えば、我々山口組の者が、日本全国どこも山口組の縄張りなんや、と。よそ様の費場所で飯を食わしてもらっとるんだという意識は、我々は持ってない訳ですな。開拓したとこは城なんやと、そういう気持ちでおるもんで、そこら辺のギャップというか、やっぱりあるわな」