事件
平成2年(1990年)2月14日
東京都八王子市のスナック「風浪恋」で、宅見組系幸田組の組員2人が、二率会八王子一家西山組の組員3人と諍いとなった。その後西山組の3人は、八王子市南町の事務所に引き上げた。しかし日付が変わった15日午前1時ごろ、幸田組の2人は、八王子市南町の事務所に乗り込んだ。幸田組の2人は事務所内で、二率会組員に包丁で刺され殺害された。
背景
事件そのものは、出会い頭の口論であり、その場で当事者を引き離し二率会系の者らは引き上げている。それを追いかけるように宅見組系の者らが事務所に乗り込んだ事で、二率会系も激高し殺害するに至った。
トラブルの勢いのまま組事務所に乗り込むという事は、二率会側にとっては攻撃を受けるに等しい行為で、返り討ちにあい殺されても仕方ないという見方もできるが、理由はどうあれ殺られたらやり返すというのもまたヤクザの論理である。
当時山口組は、東京都内への進出を活発化させ、水面下では小さなトラブルが頻発していた。大きな衝突はそれまでなかったが、これで組織上げてのハッキリとした抗争に突入していく事になった。また山口組にとっても系列組員が殺害された事で一応の大義名分が立つ事になった。いずれにせよ当時の事情を考えると、どこかで組織同士の大きな抗争に発展する火種はたくさんあった。
経過
同年2月16日
宅見組系組員が、八王子市横山町の二率会関係者所有のビルに銃弾を撃ち込んだ。
同年2月17日
2月15日に二率会系事務所で殺された宅見組系幸田組々員の葬儀が八王子市で営まれ、警視庁の厳戒態勢の中、全国から山口組系組員が多数列席した。
同日
東京都杉並区の米国人女性の住むマンションに銃弾が撃ち込まれた。この部屋には前年9月まで、二率会系の組事務所があった。
同日
八王子市小門町の二率会八王子一家鈴木組々長鈴木康雄の自宅兼組事務所に、銃弾が撃ち込まれた。
同日
八王子市高尾町の二率会幹部の自宅に、銃弾が撃ち込まれた。
同日
八王子市八幡町の二率会系組事務所に、銃弾が撃ち込まれ、警戒中の警察車両にも銃弾が撃ち込まれた。
同年2月18日
武蔵野市の二率会系組事務所に銃弾3を撃ち込み、宅見組系組員が警察に逮捕された。
同年2月19日
八王子市横山町の二率会八王子一家総長宮本高三の自宅前の街宣車に発砲し、山口組系大原組の組員2人が、警察に逮捕された。
同年2月20日
北海道旭川市二条通りの路上で、二率会系藤田組幹部が至近距離から銃撃を受け死亡。警察は山口組系関保連合の組員を現行犯逮捕した。
同日
八王子市明神町で、二率会系組事務所の隣のビルに2トントラックが突っ込み、トラックを運転していた山口組系組員が警察に逮捕された。組員は目標を誤って突入していた。
同日
八王子市小門町で、トラックが二率会組長の自宅に突っ込み、更に銃弾が撃ち込まれた。山口組系組員2人が警察に逮捕された。
同日
相模原市の二率会系組長の自宅に銃弾が撃ち込まれた。
一連の抗争で山口組は、二率会に対して約20回に及ぶ銃撃を行った。
警視庁は捜査員80人を派遣し、宅見組本部や宅見組系幹部宅などを一斉に家宅捜査した。
同年2月24日
東亜友愛事業組合・沖田守弘理事長と双愛会・石井義雄会長と二率会幹部が、神戸市を訪れ、山口組本部で和解交渉を持った。
同年2月25日
山口組本部に、二率会・宮本高三会長と二率会幹部が訪れ、あらためて宅見勝に、宅見組系幸田組の組員2人を殺害したことを謝罪した。
山口組と二率会は、条件なしの五分の和解をし、手打ち式も行われなかった。
抗争後
この抗争の終結について、「条件なしの和解」に違和感を持つかどうかで、意見が分かれるだろう。つまりは関東勢から見れば、都内に山口組の存在を認めるのかという事である。三代目山口組の頃、山口組は多摩川を越えないという約束事があった。それから年月が過ぎ、いつしか約束事は、ウヤムヤになってしまった感は否めない。ところがこの抗争の「和解の仕方」で山口組は、都内に系列組織を置く事、置いている事を世間に認めさせたと言える。
この抗争以降、山口組は更に都内への進出を活発化させ、都心部へも拠点を置いた。
なお二率会は平成13年(2001年)に解散した。