山口組 初代組長 山口春吉

山口春吉

1881年 兵庫県津名郡来馬村(後の淡路市)出身。

日露戦争では徴兵され、
復員後は淡路島の津名郡で漁師をしていた。

明治39年(1906年)、漁師を止め、神戸に行き手配師に誘われて、
神戸市生田区の海運業・倉橋組で働くことになった。

いっぽう神戸の富永組の客分に大島秀吉がいた。
大島はその後大島組を結成し、人夫供給業を始めた。
山口春吉は現場監督として大島組で仕事をすることになる。

この時の大島組は平成に入ってから
五代目山口組に加入している。

大正4年(1915年)3月、神戸市兵庫区西出町で、
沖仲仕50人を集めて、山口組が結成された。

看板は、ヒノキの板に、
「菱形」に「山」の字を描き「山口組」と書かれていた。

創設後、人夫供給だけでなく、浪曲興行にも進出し
組の基盤を確立していった。

兄弟分には、米騒動や市電争議調停で名を上げた
鬼頭良之助こと森田良吉がいた。

大正14年(1925年)1月、跡目を長男の山口登に譲り引退した。

昭和13年(1938年)1月17日、山口春吉が死去。享年57。

墓所は神戸市北区の鵯越墓園内にある。