谷川康太郎の回顧 柳川組解散時の心境

わしは会長のようにモノは書かんからね。でも言うことならいっぱいある。
解散のことならしゃあないね。食うだけは食えるし、人を助けるのは、これは義理やし、別に財産って、あってものうてもええしなあ。しかし、その時に言うた。
会長、いま解散せんでおって(刑務所を)出て行ったら、財産は何億どころか、何十億ぐらいの金になりよる。しかし、いま解散したら一銭も残りまへんでと。
というのは、そのとき柳川組の力で物件をおさえておった。その物件だけでも、いま計算したら何十億になりよるやろ。いわゆる事件ものやね。ツバつけて名義にしたり、他人の名義にしてわしのんやという形にしたやつが、宝塚にも、通天閣の下にも、大正区にもあったんやが、今はもう他人のもんになっとるわなあ。
それら全部、解散したために、どないなったかわからへん。

わたしには分るからね。力で取ったもんは力がなくなればどないなるか分らん。
かえってええがな。ハダカでできた組や。もういっぺんハダカで出直しや。会長、あんたハラくくってるのやったら、あんたの作ったもんやから、あんたの自由にしたらよろしい。すべてあきらめて、食えるだけありぁいいという気やったよ。

会長も恬淡としとったわなあ。まあ、一世一代の歴史を作ったし、あとは酒の肴で話の種になったらええわいという気や。こんな湿っぽい話はあかんな。昔のおもろい話をしようや。