中野会が孤立する原因となったもう一つの事件

中野太郎が京都の理髪店で銃撃された直後、もう一つ重要な事件が起きている。

京都での事件から1ヵ月後大阪市北区梅田で生島久次が山健組系の手により射殺された。報道では不動産会社会長とされている。
この生島久次は三代目山口組の時代、菅谷組内生島組組長だったが1983年に銃刀法違反容疑で指名手配された。有名な整形外科で顔を整形手術する等して、時効が成立するまで逃亡し、その間にヤクザを引退し時効が成立する頃には不動産や金融などの事業を成功させていた。
現役時代は大阪を拠点に、日本一の金持ちヤクザと言われるほどの資金力を誇り、山口組の直参幹部を相手にケンカするなど武闘派としても名が知られていた。

射殺された生島久次は現役を引退していたものの、山口組の直参何人かに金を貸しその取立てを巡って、生島側に立った中野が介入しトラブルになっていた事もあった。
また生島が射殺された時、付いていたボディーガードが拳銃で応戦し、襲撃犯の一人を射殺している。真に堅気の社長であれば、まずボディーガードが拳銃を携帯しているという事はない。生島もまた中野と一体となり活動を活発化させていた。

中野をバックにする生島からの厳しい取立てを受けた直参が、たまらず話を宅見に持ち込む事もあったという。この生島という人物は、引退してからも山口組内にトラブルを起こすなど、力も資金力もあり、宅見をはじめ一部の者から評判はよくなかった。

しかし引退後も関西のグレーゾーンに影響力を持ち、四代目の竹中正久に江坂のマンションを提供した飛鳥会事件の小西邦彦とも親交があった。グリコ森永事件では元三代目直参の黒沢組長とともに黒幕の噂もあった。竹中正久が四代目時代に乗っていたベンツの白いリムジンは生島が祝いに贈った物だと言われている。

そういう生島が中野会でヤクザに復帰するという噂がこの頃流れた。噂の信憑性はともかくこういう噂が流れるくらい中野会を強力に資金面でもバックアップしていたのが生島である。そういう生島が殺された。

中野としても面白くない事件が続いた。こういう事件が続く中、「いよいよ中野は山口組を放り出される」という話が大阪では多くのヤクザが、口にするようになる。今までの中野会の行状からしてない話ではない。しかし五代目との関係からありえるのか?ヤクザは噂話が大好きである。様々な憶測が流れた。

中野も自身が置かれている状況を把握するのに難しくはなかった。こういう中野が頼りに出来るのは五代目組長渡辺しかいなかっただろう。渡辺もまた頼りにするのは若頭の宅見ではなく中野だった。渡辺はトップに君臨するも、五代目就任に際して宅見に多大な労をとってもらい、就任後も実質的な権限は宅見に奪われていた。

渡辺との関係そのものが、中野に一か八かの勝負に打って出させてしまったのだろう。

宅見暗殺がもし中野会の手によるものだと表に出なければ、今の山口組はどのようになっていたのだろうか。渡辺から中野へと継承しても不思議はない関係が当時はあった。