次期組長に最も近い、本家の若頭というポスト

序列の関係で言えば、若頭が代を取るというのが不文律とされていますが、必ずしもそうではありません。しかし跡目という意味においても、重要なポストである事に変わりません。過去を見てみましょう。山口組を今の規模にした人物は三代目田岡一雄組長なので、三代目時代から考えてみたいと思います。

四代目を襲名した若頭

田岡時代の最後の若頭は、ヤマケンこと山健組々長・山本健一です。しかしヤマケンは承知のように田岡死亡時は、大阪刑務所に服役中で刑期を終える事無く病状を悪化させ急死しました。その後紆余曲折を経て四代目組長に就いたのが竹中正久です。四代目襲名直前の竹中は若頭という立場でしたが、田岡指名の若頭は山本健一までで、厳密に言うと組長の指名した若頭ではありません。田岡の妻フミ子に請われ指名を受けて、田岡死後の三代目山口組「代行体制での」若頭でした。若頭に就いていた期間もヤマケンの死後から自身が四代目組長になるまでの期間で、そう長い期間ではありません。むしろヤマケン存命中に若頭補佐を務めていた期間の方がはるかに長く、三代目が亡くなった時点での若頭はあくまでも山本健一です。そういう点も一和会とに分裂した原因があったのかもしれません。

五代目を襲名した若頭

そして五代目組長に就任したのは、渡辺芳則です。これも竹中と同じく五代目襲名直前は若頭という立場でした。そしてまた竹中と同じように組長指名の若頭ではありませんでした。竹中組長が四代目体制で指名した若頭は豪友会々長・中山勝正でした。しかし中山は竹中組長が暗殺された時、竹中と一緒に殺されました。その後任としての若頭が渡辺芳則です。

この時若頭を渡辺に決めたのは、当時の執行部という事になっています。それまでの慣例として若頭は時の権力者組長の独断で決められていました。山本健一は田岡の指名、竹中正久はフミ子の指名、中山勝正は竹中の指名という具合です。ところが、渡辺の選任には山口組の歴史上初めて執行部が決めるという、民主的ともいえる選任方法が取られた訳です。

この頃から山口組は組長という絶対的支配者が君臨する組織から、直系組長それぞれの思惑が大きく反映される組織へと変貌し始めたのかもしれません。当然田岡が襲名した当時と大きく違い、大物組長が集結する大組織へと変貌した山口組では、民主的な色合いや政治的工作がただよってくるのもまた当然の事と言えます。個々それぞれに思惑が渦巻けば、派閥が出来るのもこれまた当然の事であります。

六代目を襲名した若頭

そして六代目組長の司忍も例にもれず、襲名直前のポストは若頭でした。ただ司忍の場合、少し違うのは六代目を内定した便宜上の若頭就任という意味合いが強いです。五代目体制では発足時からの宅見勝若頭がいましたが、1997年8月に殺されてから司が2005年3月に若頭に就くまでおよそ8年間若頭の席は空白でした。司忍が若頭に就くまでのポストはやはり若頭補佐で、若頭候補としては他にも数名いた訳です。例えば同じ若頭補佐で三代目山健組々長・桑田兼吉は、五代目組長・渡辺芳則が山健組内に創設した健竜会の二代目を継ぎ、その後山健組の三代目となっていました。常に渡辺の後を継いできた人物で、六代目候補でもあり、若頭候補でもありました。そういう面でも当初から司は有利なポジションにいた訳ではありません。

ところが急転直下、電撃的に若頭に就任しその2ヵ月後には六代目を襲名しました。つまり六代目を内定させた上での若頭就任という訳です。若頭補佐から直接当代を襲名してはいけないと言うルールはありませんが、山口組ではたとえ超短期間であっても、一度若頭に据えてから跡目を取らせるという事にこだわるようです。この事は今後を占う一つのキーポイントかもしれません。

若頭の運命

そして事実としてもう一つ言えるのが、若頭としての手腕を発揮した人物が、跡目を取った事はありません。言い換えると一定の期間若頭として認知された人物の事です。まず晩年の田岡を支え、数々の抗争で指揮を執った山本健一は、跡目を確実なものとしながらも若頭のまま死にました。五代目山口組の下地を作り、経済的にも成功した宅見勝も暗殺されました。ある時代、山口組の顔として定着した若頭は何故か後を継ぐことが出来ません。四代目に就任した竹中正久、五代目に就任した渡辺芳則、六代目に就任した司忍。それぞれ若頭を務めたのは一時で、山一抗争時に若頭を務めた渡辺でも4年です。そう長くありません。

現在の六代目山口組で、発足当初から若頭として定着し、この10年間で組織内を統治し、一時は粛清の嵐をも巻き起こした高山清司は、果たして七代目組長の座に就く事が出来るのでしょうか。

自分が例に上げたのは、今までの事実です。人間には生物としての寿命があり年老いていきます。時間が過ぎ組長が年老いていくと同時に、その若い者達も年老いて行きます。今では直系組長達の平均年齢も高く、執行部ともなると更に高くなっています。組長と同世代とも言える年齢です。当代の下、執行部が長期政権に及べば、執行部のメンバーも年老いていくのも当然です。そういう事からも長く組織に貢献した若頭が、そのまま順当に後をを継ぐケースが少ないのかもしれません。