理想の上司
毎年産業能率大学が、その年の新入社員を対象に「理想の上司」を尋ねる調査を実施している。あくまでもテレビなどを通して各ジャンルの有名人から受けるイメージでの投票であるが、毎年のようにランクインする人物もいればその時々で勢いのある話題の人物がランクインすることもある。
また上司像や判断基準も年を追うごとに変化し、それぞれの時代背景などが大きく影響しているようだ。では将来的に会社を担う新入社員はどのように上司を見て何を求めているのだろうか。
責任感が強い、思いやりがある、公平に物事を見る、言い分を聞いてくれる、相談に乗ってくれる、感情まかせに怒らない、理想の部下像はさておき様々な理想があるようだが人と人との出会いは運命でもある。ヤクザにとっても付いた親分によって大きく運命が変わると言われている。しかもヤクザは一般人が自由に会社を移るように組織間を行き来出来る訳ではない。盃をもらう事はある種一発勝負でもある。その後は組織選択の自由はなく、破門や絶縁などその身分に関する一切の権限は親分にある。
理想のカシラ
ヤクザの盃の基本として親分から下ろされる親子盃がある。これは一対一の契りであるが若衆に加わると言う事はその親分が率いるファミリーに加わるという事と同義であり、決して一対一の関係性だけでなく組織の一員としての人間関係の始まりでもある。先輩である兄貴分らは一般社会で言うところの上司であり、とりわけその組織の組員にとって若頭はもっとも重要な上司である。ここでは「理想の上司」を「理想の若頭」に置き換えてみたい。
山本健一
言わずと知れた田岡一雄の三代目時代に日本一の子分を目指し、最期まで精進し続け四代目を約束されながら皮肉にも子分のまま亡くなった。イケイケのヤマケンとあだ名され、抗争におけるその武闘派ぶりはつとに知れ渡っている。そんな山本健一の個性はヤクザとしてはかなり特異な感性で、組内において若衆を殴る事はおろか怒鳴りつける事もなかったという。
健一は「殴って分るようやったら犬や猫と一緒やないか。ワシは自分の若い者を犬や猫と思いたくない」と言った。初代山健組当時まだ若かった渡辺芳則が、ボディーガード役として健一の麻雀に付いていた時、ついウトウト居眠りした事があった。健一は叱るどころか、渡辺を起こす事もなくそのまま寝かせといてやれと、一人で帰ってしまうほど自身の若い者にも寛大な人物だった。粗暴なイメージと裏腹に若い者に対しては温厚な人物だったようである。
それでは山健組の者達は皆楽が出来たのだろうか。それは違うようだ。
何事も出たとこ勝負でおおざっぱな健一は金銭や組織作りには無頓着だったようである。数は力と考え組員数の増強を進言する当時山健組若頭だった渡辺の考えに引き換え、健一は組同士の喧嘩になっても行く人間がいればそれでいいと考えていた。少数精鋭とは聞こえがいいが、組員一人一人の負担は大きい。
安原会が解散した時、その組員を山健組が吸収する話が持ち上がった。しかし健一はそれをしなかった。今の山口組内では一つの直系組織が解散すると有力組織が吸収し、吸収する側にも組織を大きくするというメリットがある。される側にしても時の有力組織に加入する事を望むのが普通である。
健一の理屈はこうだ。安原会の幹部連中は年配の者も多く金も持っている。そういう連中が山健組に入ってきていい顔をするようになったら、今までの自分の若衆が冷や飯を食う事になる。元々いた自分の若衆をそういう目には合わせられないと言うわけである。もちろん山本健一の本音としては田岡への手前あつかましい真似は出来ないという本音もあったかもしれない。他には地道行雄のように大きくなった挙句、最終的に親分の田岡から遠ざけられた失敗を見ていた事も理由にあったのかもしれない。何かと無頓着な健一であったが、ヤクザとしての所作に無分別な人物ではなかった。
男として一点の曇りもなく理想を行こうとする健一は誰が見ても尊敬に値するが、付いて行く者の苦労は計り知れないだろう。ヤクザとして立派な生き方をする事は、生活の安泰とは無縁かもしれない。山本健一が生きた時代と現在を安易に比較する事は出来ないが、一時代を築く人物を上司に持ち、付いて行くという事もまた生半可な事ではない。近代的な損得勘定では山本健一の部下にはなれないだろう。
山本健一が亡くなった時、皆が涙を流したと言う。ヤクザとして人として誰からも愛され真に魅力のある人物だったと言う事であろう。
収監中の健一が宅見勝に宛てた手紙の中で指揮官としての三ヶ条を上げている。
①身体の健康、②知能の健康、③精神の健康、これら三つはもっともな事である。山口組六代目組長となった司忍も自身に課している事として、これとほぼ同じ事を発言している。
山本健一が生きた時代は今と違い、いわばヤクザ社会の戦国時代であった。単純な比較は出来ない。
ヤクザとして男としてどう生きていくのかという覚悟によって、理想的な上司というのは違うはずである。安定したシノギを持ち経済的な繁栄を望むなら、また違った理想もある。人生観や価値観も時代背景とともに大きく変化していくのも当然であり、これからも変化していくだろう。