ヤクザに対するイメージと現実

福岡県北九州市に拠点を置く工藤會という組織が「特定危険指定暴力団」と指定されている。これは一般市民にも繰り返し攻撃し危害を加えたという事になっている。

ところでヤクザは誰に対しても暴力的であるのだろうか?
様々なイメージがある。

ヤクザは金にならない事はやらない。
一度関わったら永遠に金を毟り取られる。
簡単に人を殺す。
ヤクザに頼めばトラブルを解決してくれる。
ヤクザは見栄を張る。
堅気には優しい。
堅気を食い物にして生活している。

色々なイメージがあるが、人それぞれ体験や喧伝によって持つ印象は違う。
しかし注意したいのはヤクザも人によるという事と、関わりによるという事である。

例えばシノギとしてノミ屋を運営しある程度の日銭を上げていて、食うに困らず付き合いにも事欠かず気が向けば飲みに行くお金も十分にあるようなヤクザはまず堅気を恐喝したりはしない。とはいえ成功すれば2億3億となる恐喝であれば一勝負と乗り出す事もある。

また安定したシノギどころか組の会費にもあっぷあっぷしているような者もいる。同じ代紋を付けていても経済状況は人それぞれである。ところがシノギに窮したヤクザは飢えたハイエナのごとくどんな事でも金にしようと無理をする。余裕がない分短絡的な行動にも走りやすい。相手が堅気であれヤクザであれなりふり構わずなところもある。

ヤクザの収益はその人物の持つ人間関係の中から生まれる。
収益発生までが終始平和的に行われる事もあれば、最期まで敵対的に行われる事もある。恐喝された被害者にとっては憎悪を抱くが、恐喝で稼いだお金を飲み屋でパッと使えば店やホステスにとってはいいお客さんとなる。ヤクザの中でよく言われる言葉に「汚く稼いで綺麗に使う」という言い方があるが、ヤクザが行う一連の経済行為の中でどの部分で関わるかによって持つイメージや利害関係に大きな差がある。またいいお客さんだと歓迎していたところ、逆に見返りを求められる事もある。

ではヤクザと関わると結局は損をする事になるのか?
そういうことではなく、損得勘定で付き合うと損をする事になるケースが多いという事である。ヤクザは人間関係のエキスパートが多い。人の微妙な感情を読む能力に長け、自分と相手を照らし合わせ嘘やハッタリを織り交ぜた会話を通して相手の器量や価値観、経済力や行動力といったその人物の人間力を正確に分析していく。つまりこちらの本音部分を分析されてしまうという事である。
そういう意味でもヤクザと付き合いをしていくなら損を承知で付き合うべきで、そういう付き合い方が逆に揚げ足を取らせる事無く対等な関係性を作る事になる。しかしこれも相手によりけりという事である。

自分の欲望をすべて肯定しこの世の享楽を謳歌しようとするのがヤクザである。その反面懲役と言うこの世の享楽と無縁の世界をも受け入れる。つまり自分の生涯を一か八かのギャンブルに賭けながら生きていけるのがヤクザである。そしてその人生設計の損得勘定をあえてしない刹那的な面を持つ。
一般人と共有できる価値観や人生観は意外と少ないのかもしれない。

一般人として平穏な生活を望むのならヤクザとは関わらない事が一番である。ヤクザに限らず他人に関わる事で利益を得ようとする者はたいてい結局は損をし、人から安く見られることになる。