血別 山口組百年の孤独

平成27年(2015年)、著者は元六代目山口組直系の太田興業組長の太田守正。出版社はサイゾー。

著者の太田守正は、初代健竜会から渡辺芳則の元で山口組系列となり、以来山健組の有力組織太田興業組長として三代目山健組では長く舎弟頭を務め、相談役に就いた後山口組本家の直参に上がった。

太田守正がこの本の出版を決意した理由は、先に出版されていた盛力健児の鎮魂に反論するためだという。太田氏によると盛力の本の内容はデタラメが多く、その内容に反論するため出版したとの事だ。
盛力の主張と真っ向から反対する内容となっているが、どちらが正しいかは読む人の判断だ。ただ盛力氏は怒りを爆発させた勢いに任せたような内容であるのに対し、太田氏の「血別」は論理的な内容で矛盾がなく、氏の頭の良さを感じさせる。
さすがはあの荒れくれた太田興業の首領である。「書いた以上は逃げも隠れもしない。説明しに来いと言われれば、どこにでも出向く」とあるように、本気度や真実味は盛力氏の上を行く。

ただし、太田氏の「血別」を読む前に盛力氏の「鎮魂」を呼んでいないと、「血別」の内容にピンとこないかも知れない。そして読み比べて判断するのは読んだ人である。

太田興業といえば山口組の五代目時代、当時三代目山健組の舎弟頭をしていた頃が全盛期だったと思う。その頃大阪のミナミでは太田興業が幅を効かし、並みの二次団体以上の勢力と勢いがあったように記憶している。何かモメ事があれば、その片方はほぼ太田興業というくらいどこででもモメるエネルギッシュな組織だった。
元正義団の人間も多くいて、良くも悪くも大阪的な組織だった。
人数も多く、その分イチビリやチンピラのような人間もいて、ホストのキャッチが太田の看板を持ち出すような事もあった。

太田興業が山健組から直参に直る頃、山口組も六代目体制に移行し高山若頭が本家の執行部の中心となると、太田興業も独特の太田カラーが影を潜めていった。そんな中、太田守正率いる太田興業は除籍処分となり、秋良東力が秋良連合会として引き継いだ。