五代目山口組では若頭補佐をつとめ、六代目山口組では顧問をつとめた後に引退した芳菱会の滝沢孝総長の2回目の差し戻しが確定しました。
1997年に大阪市北区のホテル前で、傘下の組員が拳銃を所持していたという事件で、共謀共同正犯の罪に問われている、例の事件です。この時に滝沢総長の一行と一緒にいた弘道会一行も同じく罪に問われ、当時の弘道会々長・司忍は有罪となって服役し、2011年に出所しました。
似たケースでは三代目山健組々長・桑田兼吉も有罪判決を受け、服役しました。滝沢総長の場合は現場の状況からも司会長と同じように考えられますが、少し判断に違いがありました。
滝沢総長は一審、二審と共謀は認められず無罪となっていたが、最高裁が2009年に拳銃所持を受け入れていたと「推認」できると一、二審の判決を破棄し、審理を差し戻していた。ところが2011年に再び一審の大阪地裁はあらためて無罪を言い渡しています。
つまり滝沢裁判は、有罪になるまで諦めないという国家の執念のごとく繰り返されており、異様な裁判となっています。証言や証拠を審理し、法律の条文と照らし合わせた上で無罪判決が出ても、国家は伝家の宝刀「推認」を振り下ろし有罪へと持っていくハラのようです。「推認」はこれまでヤクザの裁判によく出て来ていますが、その推認の根拠が法的に明らかになった事はなく、法治国家の裁判としてこんな事で有罪判決を出していいのかと疑問が残ります。
被告が否認している以上、裁判は法と証拠に基づいて行われるべきで、推認で判断されるようでは、もはや裁判ではないのではないでしょうか。
http://www.asahi.com/articles/ASH355RHJH35UTIL03B.html